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日本史(戦国史)やらゲームやら漫画やらメインに 二次創作と妄想を垂れ流すサイトです。 初めての方は”はじめに”からどうぞ。
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writer:柴漬亀太郎 2024-05-20(Mon)  
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感じの悪い話。
writer:柴漬亀太郎 2008-01-17(Thu) 戦国(小説) 
いろいろ悩んだけど後半部分を丸まるカットしたせいで曽根ットさんが可哀相で昌幸が外道な話。
いや別に後半部分を入れてもそんなに状況変わりませんでした。ぐだぐだになっただけでした。
こう…なんか凄い気持ちの悪い話を書きたかったはずなんですけど思ってた気持ち悪さとなんか違う・・・
曽根さんが凄く可哀相です…いや確かに可哀相な話を書きたかったんだけどアレ…?



「死んだ男の行き着く先」(昌幸と曽根昌世)
ちょっぴりPHP設定な、天目山・本能寺後の徳川陣営で再会した昌幸と曽根の話。
曽根さんは武田家滅亡前から徳川に通じてた設定。正直曽根ファンの方は閲覧注意してください。



「去ね。」

もう話す事は何も無い。
子供のころから見知った友人に良く似た目の前の男が
酷く淡々とそう切り捨てるのを、他人事のように眺めていた。
感情を廃したからこそ残酷なまでに冷酷なそれの裏に隠れるものは憎悪だ。
否、憎悪、憎悪だけではない。
押し殺されているのか静かに息を潜めているのか、
感情の正体もそれが向う先も正直なところを言えば窺い知れない。
ぐちゃぐちゃに混ぜ合わされてしまったそれの中から特に憎悪を強く感じるだけで、
まるでそれが全て自分に向っているように錯覚してしまうだけで、
それは偏に自分の中の負い目がそうさせるのだった。

負い目、負い目、裏切った、末路の、負い目、

カタカタと手が震える。背筋を冷たく汗が伝うのを感じる。
自分を支える覚悟が揺らぎ薄れていくのを必死で繋ぎとめ、踏みとどまる。
後悔が微塵も無かったなどといえば嘘になる。
けれど、身を切る想いで秤にかけて選んだ中の僅かに押し込めたそれを、
確かに存在しているのだからと無理矢理引きずり出されるのは酷く恐ろしかった。
恐れは怒り、後悔は苛立ちへと変わり、理不尽、あまりに理不尽だと叫びだしたくなる。
ならばお前は、お前と私は何が違うのだと。
それが出来ないのは結局、自分の弱さなのだと分かっている。
自らの理を、信じた正義を押し返し、突きつけてやる勇気がない。
後悔が微塵もなかったなどといえば嘘だ。
それでも自分の今が間違いでないと信じている。
そう言いたくて、言おうとして、しかし喉はからからに乾き、声は音をなさなかった。
反論も言い訳さえも出来ずにただ黙りこくっている自分を男は興味を失った瞳で見つめていた。
こんな目をする男は知らない。こんな顔をする男は知らない。
ならば全てを切り捨てて、こちらも突き放してしまえばいいものの、
それすらも出来ない自分が酷く哀れで、惨めだった。
昌世は見てしまった。知らない男の向こうの面影が、うわ言のように小さく呟いた様を。


勝頼様。)


それが嘗ての友人の、ただの子供染みた八つ当たりだったのならどんなに良かったのだろう。



嘗ての友人たちはもうどこにもいないように、
彼らの中の嘗ての自分もきっと死んでしまったのだ。
そこにはもう誰もいない。
一体何がどうなれば誰が満足したというのだ。
あまりに明快な答えだけが突きつけられる道の先の現実に、言葉など出るはずも無かった。













PHPで昌幸が曽根さんに「お前の気持ちは分かる」みたいなことを口ではいっときながら
「うっせぇ裏切り者!」みたいなすっげぇ自己中な態度だったのに萌えて書いた。今は反省している。
曽根が早くから徳川に通じてたっていう説は個人的に好きです。寧ろ徳川方についてからのほうが(以下略)
あの時代、あの状況、武田家のあの仕組みで誰が何を裏切りと呼べるんだろう。
忠義とか裏切りとかそんな感じのしない文を書きたかったのですが見事に玉砕しました…
更に捻くれて自分勝手を突き詰めてる昌幸と決断に後悔はしてないけど罪悪感も捨てきれない曽根さん。
後半戦では信尹による曽根さんを慰めるの会が開かれますが無かったことになりました(死)

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