忍者ブログ
日本史(戦国史)やらゲームやら漫画やらメインに 二次創作と妄想を垂れ流すサイトです。 初めての方は”はじめに”からどうぞ。
[PR]
writer:柴漬亀太郎 2024-04-27(Sat)  
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


リハビリ的な
writer:柴漬亀太郎 2009-12-25(Fri) 戦国(小説) 

再び検索に登録させていただこうかというときに何もないのもアレなので。
コメントありがとうございます!!卒論終了祝い本当に嬉しいです。
あったけぇ・・・かあちゃん、世間はあったけえよ・・・!!おいちゃん頑張るよ・・・!!
今度こそいろいろご挨拶に行かせて頂きたいと思います。
拍手本当にありがとうございました!!




「私は喝采を所望する」(真田幸村)
真田幸村と大坂の陣。最初で最後の戦。






色々と考えて、やるからにはやはりとびきり恰好良く死なねばならないと思った。



 

(う~ん…完全なる我儘ですから当然というか自業自得なんですが、難しいなあ。)

そもそもここに来てからこんなことを考えていること自体が
お粗末なんじゃないかと思ったが、あえて見なかったことにした。
ここまで来たからには細かいことをうだうだ考えるのはやめると決めたのだ。
ちなみに我が愛する妻の助言である。
あなた、もともと細かいことを考えられるようにできてないでしょう、だそうだ。
だってその必要がなかったのだ、と反論しようとも思ったが止めておいた。
多分もっと呆れられるか怒られるのかの二択になる。意味もないのに虎穴に入ってどうする。
今となっては何もかもが詮なき事であるし、何より妻が怖かった。
それでも大好きだけど。むしろ今すぐ会いたいくらいですが。
地面にがりがりと意味のない線を意味もなくひっぱりながら、信繁は思考をぐるぐると回した。

(そもそも世間ではどういうものをかっこいいと思うんでしょうねぇ。私は正直この年になってようやく自分の好みが当てにならないことを自覚したばっかりなんですが。かっこいい、かっこいいと言ったらやっぱり源三なんですが。ああ、でも源三は生きててもらわなきゃ困ります。第一良く考えたら源三は何をやっていてもかっこよかったなあ。やっぱりああいうのは根本から違うんでしょうかね。あ、義姉上はかっこいいと思いますねえ。沼田での啖呵なんか正直痺れちゃいました。ということは本多殿も多分かっこいいんでしょうからとりあえず本多殿を手本にすればいいんですかね。………ああ、俺本多殿のこと詳しく知らないです、駄目だこりゃ。)

結局結論はどん詰まりに陥ったにも拘わらず、
その過程で引き出された思い出の微笑ましさに信繁はふふふ、と笑いを零す。
今となっては遠い思い出で、頭の中で再生される映像は錆ついてところどころ怪しい気がする。
しかし、どんなに記憶の絵が覚束なくとも体が覚える感覚は鮮明だ。
その感覚を丁寧に反芻して、信繁は記憶を遡っていく。
空は美しいが、冬の空気はやはり冷たい。

(かっこいい、なんてあんまり考えたこと無かったな。俺のお手本は全部源三郎でしたし、今だって俺の理想は源三郎だと思ってる。俺は源三の背中を追いかけるだけでよかったんだ。…結局それは言い訳だったのか。こうして一人になったら、結局何も残らなかったんだから。)

記憶の海を泳ぎながら信繁は苦笑する。
ああ、そんな反省は九度山でもう死ぬほど繰り返した。
今すべきことはそんな今更なことではなくて――ああもう、なんか思いつかないかな。
薄っぺらい記憶を必死に隅から隅まで稼働させる。
例えば、――――軍記。

(……楠正成。そうだ、それでいいじゃないか。主君のために恩義のために、父の遺志と無念を継いで怨敵に立ち向かう――うん、ぴったりじゃないですか。それこそ太平記のように語り継がれたら儲けものですねえ。ちょうど親子でいるんですしそれこそ大楠公・小楠公の如く、か。それはかっこいいかもしれない。豊臣家に一応恩義はあるし。ただ親父殿の遺言と全然関係ないのと別に俺は家康公を特別怨んじゃいないってところが問題だけど、そんなの誰も分からないだろうし。うん、折角忍びもいるんだしここはこう派手な感じで戦っときたい。こう、負けてもどちらの記憶にも残るような感じで。数百年単位で語り継がれる感じで。おお、目標が見えたらやる気が俄然でてきました!)

思い立ったら何だか気分が高揚してきて、すぐに色んな策を考えなければと
しゃがみこんで足元に地図なり図案なりを書き込んで思案し始める。
まず出城を作ろう。なるべく派手に攻撃がかかりそうな位置がいい―――――
夢中になってある程度組み立てると、やはり別に多くの情報が必要になると分かる。
腰を据えて改めて考える必要がある、と足元の走り書きたちを立ちあがって踏み消した。
折角だから、大助にも考えさせよう。九度山で机上の勝負しかしたことがないのが不安だが、
こうなったら嫌でも身につけてもらわなければならないことはたくさんある。
あとは、城内の諸将や淀の方などに話をつけて―――…面倒くさそうだ、後にしようそれは。

(うんうん、一時はどうなることかと思いましたが何とかなりそうですね。これで、   )

 




 

色々と考えて、やるからにはやはりとびきり恰好良く死なねばならないと思った。

 





 

これで、何になると思ったのだろうか。
こんなものは父の遺志ではないし、ましてや兄の望みでもない。
端から勝つつもりなどない戦。だから、豊臣家の希望でもないし、
そこに一番大切なものはないのだから、愛した妻の願いでもなかった。
これは意地だ。ただの、悪あがきだ。何のためにも誰のためにもならない信繁自身の我儘だ。
このまま終わるのは惨めで、悔しくて、嫌で仕方がなかったから。
(だから彼は大楠公などであるはずがない、彼の傲慢は息子をここで殺すのだから。)
本当は誰も彼の行為を称賛などするはずもない。

(だからこそ。)

やるからにはとびきり恰好良く死なねばならなかった。
これが自分の我儘であるからこそ。
真田のためではなく、自分の意思であるからこそ。
ついでに、ともすれば真田の為になればいいと考えるからこそ。
(いいわけも何もない、正真正銘信繁自身による、信繁自身のための戦。)



 

やるからには、とびきりの。



 

つい、と天主を見上げる。
天下人の夢が作り上げた、壮大な山。
できすぎた舞台だ。これだけ巨大で荘厳で派手な城だ、どこからでも分かるに違いない。
きっと親父殿も義父上もあの人も誰一人、見間違えたりしないだろう。
信繁は満足そうに笑う。本当に、最後まで自分は幸せ者だ。

 

 


「――――――ご覧あれ。」

 

 

初舞台が一世一代の大舞台。
上手くいく自信も保証もどこにもないけれど、最高の幕を引けたらいい。
さあさ、どうぞ尊となく卑となくとびきりの死にざまを目に焼き付けてくれ。

これが、最初で最後の、真田幸村の戦だ。

 






PHP真田信之の幸村の最期がかっこよすぎたので書いた。余り反省はしていない。
というか最初は天地人合わせのつもりで書いていたんですが、まあ色々とお察しください。

拍手[8回]

PR
この記事にコメントする
nametitle
mailtext
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
URL
pass
この記事へのコメント
Powered by [PR]
/ Design by sky hine / PR:忍者ブログ