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日本史(戦国史)やらゲームやら漫画やらメインに 二次創作と妄想を垂れ流すサイトです。 初めての方は”はじめに”からどうぞ。
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writer:柴漬亀太郎 2024-05-17(Fri)  
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悲劇の女性
writer:柴漬亀太郎 2008-09-27(Sat) 未選択 

某掲示板の日本史悲劇の女性に関してのログを読んでいて南北朝萌えが来たのでとりあえず。
西園寺禧子が(地味に)悲劇の女性とはよく言われるような気がしますが、
その娘、要するに後醍醐天皇の第一皇女、懽子内親王の生涯もけして幸福なものではなかったんですね。
板でも論議されていたように親父の暴走に終始振り回されっぱなしの人生で…(爆)
懽子内親王は後醍醐天皇の次の天皇、南朝が正統とされてからは歴代天皇からは除外されてしまった
光厳天皇の妃であり、結果的に夫を廃位(そして結果としての歴代からの除外)に追い込んだのは
実の父親の起こした戦乱で、その親父が帰ってきた年には母親の禧子が死んでるんですよね…
禧子は廉子によって既に後醍醐天皇の寵愛を失って出家していて晩年は寂しかったんじゃとか思います。
光厳天皇は天皇で元弘の変~南北朝の動乱で北条や足利、幕府に振り回されて(?)散々な様子が
太平記からも見て取れますし。懽子は有る意味父親に狂わされた人生をどう思っているのか…
というか親父をどう思っているのか…すいませんフォローしきれません(死)
けれど某板によると光厳天皇は懽子内親王のことをとても愛していたらしいので、
それがせめてもの救いかな…と。逆に辛かったのかもしれないけれど。本当かどうかは分からないけれど
この二人についてもう少し調べて、できれば仲が良かった裏づけがとれたらなぁ、と思っています。
花園天皇とこの二人を交えた話を是非かいてみたいです。花園天皇大好きだなオイ。
こういうのを読んでると「後醍醐お前…」と思わずにはいられないんですけど、でも好き…(オイ)
後醍醐天皇の家族への愛情の注ぎ方って今ひとつ掴みかねるところがあります。
彼女のことにしろ、護良のことにしろ…妹とは仲が良かったらしいんですが。
後醍醐天皇の少年時代から推測するに、彼にとって血を分けた家族でさえ信頼に足る存在では
なかったということでしょうか。家族の愛情にも周囲の愛にも恵まれない環境でしたからね…
父親からは疎まれて、母親からは特別な関心もなく、祖父の寵も失って、誰にも見向きもされなかった
不遇の少年時代を送り続けてやっと掴んだ天皇の位に執着する後醍醐天皇には
他人と同じ、とまではいかなくとも「家族だから」という特別なくくりは存在しなかったのかもしれません。
うわあああお前って奴は…(妄想だからそれ)っていうか結局後醍醐萌えになってるじゃねぇかよ。
まあ後醍醐天皇のやったもろもろの「お前…」な朕プレーの数々にはフォローの仕様もないんですが(死)
禧子も懽子も相手が悪かったと思うよ…運が悪かったよ…後醍醐と廉子じゃ(色んな意味で)規格外です

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